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  • 執筆者の写真院長

老いることは死を学び、死に備えること

私たちは、願わくば、老いても誰かの影響を受けながら生きたいと思います。そして、私たちが老いること、今日一日を生きることは、死に近づくことであるという思いを、心底からもちたいものです。今日を精いっぱい、大切に、真摯に生きることがいちばん大切なことであり、それが、死をどう生きるか、死への挑戦ともなるのではないでしょうか。病をもたない、健やかな人には、生を考えることはむずかしいです。しかし、人は病んで初めて、生とは何かを考えるようになります。人は老いるにつれ、一つ二つと病が加わってきます。そのたびに老人は、生を深く考えるようになるのです。死を学ぶということは、日本人の習慣にはあまりありませんでしたが、これから先は、老いも若きもが、もっと死を学ぶことにより、今日の生き方を深めることができるのではないでしょうか。

死のパフォーマンスを、私たちの生きる最後の姿にしたいものです。


死を知ること 死を生きること


老いて、体力、視力、聴力、記憶力の低下が来ることは避けられない現象です。自然界での樹木のように、人間にも春の新芽、夏の深いみどり、秋の紅葉のあとには、最後に裸木となる冬が来る。このことは避けられない自然の摂理です。冬に向かう人間はどう耐えて生きていけばいいのでしょうか。



上記は、日野原先生のお言葉を引用しました。死から遡り、生を見つめる。

専門領域だけで選択するのではなく、もっともっと広い視点からの考察が今研究室で行う手法の一つと捉えています。今週、院生はやや放牧気味です。わたしだけ?

鬼の居ぬ間に調べ抜いて先に進みたいのだが、いまいち情報が入らずまだ動きがわかりません。




孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる

トルストイ

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