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執筆者の写真院長

学修

 無事に一年間の学を修めました。

大学院と通常診療の両立を図ることは想像以上に厳しく、どう折り合いをつけるかで悩ましく頭を抱える日もありましたが、何とか一年目を修めました。すべて上手くいったわけではなく、むしろ必修科目を落としました。(出席点が足りねぇ....)

来年度にもう一度履修しなければならない副産物を手に入れました。もうこれは逆手にとって、人より二、三倍の知見を取りにいきます。必修の再履は大変らしいです。やばみ。

通常一年のうちに必修と選択科目の単位を揃えて進級し、次年度は研究に没頭するのが慣例です。ワイは、そんな上手くいくはずもなく、この界隈でも遠回りのコースを歩みます。

ただ、今のところ、遠回りしてはいけないという法律はないので、得意の遠回りを生かして、領域の深化を図っていきます。


「京都から出雲への通学って大変でしょう。」

この言葉、何百回って聞かれました。


確かに大変です。片道350km。遠いわな。尋常な距離ではない。

でもこの移動の時間に、いろいろと考えるんです。毎月定期的に通院してくださる患者さんのことや、隔月と設定し身体のメンテナンスのために通う方、自分と同様に顔面神経麻痺の患者さん、ご夫婦で治療を受けているお二人、週末を利用して遠方からいらっしゃる方、沖縄のおばぁ。さまざまな顔が浮かんでは消え、がんばらなきゃと発奮しながら出雲へ乗り込んでいく感じ。出雲では、勉強以外のことは考えてないです。

知識を渇望したかのように吸い上げて、自分の中に落とし込むのに必死です。

「知性は死なない ー平成の鬱をこえて」の著者である與那覇 潤さんは、本作でこのように語っています。


・自分が正しいと思う意見を、人前でビビらずにいえる

・しかし、違う意見を聞いて、まちがえたと思ったら修正できる

・自分を卑下することなく、わからないことについて質問できる


非常にわかりやすく集約されています。わたしも恥を忍んでトライしている真っ最中です。


さて、今は京都でゆっくりしています。この一年間を少し振り返ってみても、多くの方々の叱咤激励があったからここまで自分が成長できたと痛感しています。

人に恵まれたとよく言いますが、もうそのままです。

異彩な出逢いによって、自身が革新されていくのを期待せずにはいられません。

さまざまな環境に身を置くことによって、洗練されていき、より鮮度の高い見地を得る。

言い得て妙な表現が見つかりませんが、とにかく泥のように学んでいくのが今の自分に取っては必要不可欠です。


さぁ頑張ってがんばっていきましょう。







何度も何度も傷つけられたら、相手を紙やすりだと思えばいい。

多少擦り傷は受けれど、自分はピカピカになり、相手は使い物にならなくなる。


クリス・コルファー

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