人体を修繕(治癒)するという難しさ。
瞳をとじてじーっと考えてみても、やはりその難しさに直面する。
健康に還す。それがいかに堪能なことか。
だけれども、東洋の叡智に委ね西洋と寄り添い、その病邪を鎮める。
昨日の自分より、全ての面で上手でなくてはならないし、その気概をもって手当ての支度をしていたい。
初診時の問診でこんな言葉が、
患者さん「なんか東洋医学、東洋医学していないからここに来ました。」
私としては、「(うん?なんだろうか?もう少し突っ込んで問いたいな。)」
まず東洋医学、東洋医学について質問した。
そしたら、「あからさまに東洋医学が効きます。鍼は凄いです。とか、施術のbefore afterで患者を引き寄せようと必死じゃないので。」「電気が苦手で。電気も流さないと聞いたので。」
<中略>
「では、鍼八分でアプローチしていきましょう。」
「おねがいします。」
つい先日の往診で主治医の先生、看護師、患者さんと鍼八分(刺し過ぎない)腹八分(食べ過ぎない)の話をしていたところだった。
他のクリニックや治療院にはそれぞれコンセプトがあるし、それについて言及するつもりはない。ましてそんなことを言える立場に無いので触れないけれど、結果的に、こちらの患者さんと自分の院がマッチングしたということだった。
明日の院の経営を心配・危惧するよりも、目前にいる患者さんの身体を健康に還してあげることが先決だ。その結果が明るければ、私にとっての次も。またその次の日も明るい朝が迎えられるのではないだろうか。
なぜ?どうして治らないのか?
あるいは、なぜ?どうして治ったのか?
そこに執着していくことが大切なんだと思う。
治らなくて考えるのは、当然。治ったら、手放しで喜ぶのは患者さんまでとして、自分はそこでなぜ治したのか。どうして治ったかを考えていたい。
みんなからの忠告に基づいて家を建てると、出来た家はいびつになる。
デンマークの諺
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