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執筆者の写真院長

水底を泳ぐ鴨

 年末年始、外国でいつも以上にゆっくりと過ごした。自分らがステイしていた地区は、ドバイの東およそ15km,北に60km上がったシャルジャ地区の中でも最北エリア。ホテルの部屋でボーっとしながら橘家 文左衛門師匠の噺をiPhoneで流し聴いて外を眺めていた。師匠の小気味良い語り口とザラついた語気が意外にもシャルジャの風景にマッチしていた。

 自分の人生に余白はあるのか?自分は何をした?

疑問が沸いてきた。予定を詰め込み、その日を全うし、充足を気取る。本来そのようなスタンスで動き回り、仕事に就いているわけではないが、日本から離れ、一年を振り返っていた時にフッと沸いて出てきた。この無性に中途半端でアンバランスな思考は、マイナス5Hの時差に因るものなのか否か。2日目以降は時差による呆けから解放され、旅程を楽しみつつ、年明けからの仕事の話などをしながら、それなりに景気よく旅をすすめた。中東のサンライズ・サンセットは、俗っぽい紅色が出現し徐々に輪郭が浮かび上がる、厭らしい肉体をさらけ出していた。行き過ぎているが、恩地元が見ていた沈まぬ太陽はこのような感じだったのだろうかと想像を膨らました。日を追い虜になり、陽が上がるのをただ楽しむ日々を過ごし帰路についた。

 京都にもどり、少し遅れてきた正月を味わい、少ししてシャルジャにいた時に感じていた違和感を思い出した。自分は何をした?

これまでの人生が一気に蘇っては消え、蘇っては消えて、鴨川にいる無数の鴨を眺めていた。目の前には14,5羽の鴨の群れが優雅にのんびりと泳いでいた。その群れに観光客であろう女性たちが「うわー鴨じゃん。鴨。かわいい。」と最新のiPhone 11 proでパシャパシャ写真を撮っていた。なんてことのない鴨川の風景。川上を見ると、群れから離れ一匹だけ猛烈な速さで水中を泳いでいる鴨を見つけた。鴨ってこんな勢いよく泳ぐのか?というレベルの速さでグイグイと泳いでいる一匹の鴨。しばらく観察をしていたら、ようやく納得したのか水面に顔出した。これで群れの後を追うのかと思っていたら、対岸へ。

向こう側には女子と鴨の群れ。対岸には一匹の鴨。

向こう側にはパシャパシャと撮られる鴨の群れ。対岸には泥にまみれた鴨。その鴨が岸で雀啄している。均一な雀啄。きれいだ。泥まみれなのにきれいだ。

自分は写真に撮られる無数の鴨ではない。泥まみれで雀啄する鴨の姿に今の自分を照らした。泥くさくていい。大学院に入学してから、自分のしていることを綺麗にみせて、自分の行いを上質にみせて着飾っていたのではないだろうか。

もっと粘っこく、今をさらけ出し、間違えを恐れずにまずは半径ゼロメートルを信じていく。そしてまた疑ってみてはどうだろうか?

繰り返される日常に抗い、今一度足元を見つめる良い機会となった。


 水底の鴨は、いまも泥をかき分け澄んだ心で待っている。







涙が出そうになるくらいに、生きろ。


アルベール・カミュ

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