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執筆者の写真院長

最前席の代償

高校卒業後に入学した大学では楽単目指して、いかに目立たずにして講義へ出るかをモットーになるべく教壇から遠くの席を陣取り、何にも考えず過ごしていた。

打って変わって鍼灸学生の頃は、在学中、ずっと最前席を保持して座っていた。以前のように最後列に座っていたら、眠気に負けて講義中に寝てしまっていただろうし、教授の板書を見逃していたかもしれない。もっとも視力の関係で前方でないと見えない。

今のところ、大学院の講義も最前席で講義を聞いている。

最前席では一つ悩みがあって、毎度必ずといっていいほど、講義中に指されることだ。

理系の講義は、図に記したり、矢印で示して導けと問われるので、指された挙句、教授に手招きされ2~3分、あるいは5分間放たれ、自分の考察をホワイトボードに図解する。

これが少々ストレスであり、一方で気合いが入り、正答の良し悪しに関わらず、そのテーマは印象付いて、忘れないから知識が定着....すれば良いのだが。せめて比例はして欲しい。やはり慣れるものではない。先日の廣瀬教授の「医療社会学」では、何度も指名された。半分以上、答えられなかった。周りからアイツ全然答えられないじゃんという視線を感じて、正直キツかった。

「じゃ、前回の講義さらうでぇ~。日本での病院数は?はいっ、一番前のあなた!!」

「えー、8,500~9,000です」

「おー、どっかで見たのか?ほぼ正解や。やるやんけ。8,400や。」

「島根の人口は?」

「70万人に届かないぐらいですかね。」

「なんや、保健師か, What's your background ?」

(...前回は東京出張で欠席だったけれど、前回の講義収録DVDを1コマ分見ていたから、答えられただけ...)

最初の問いに悩まず答えてしまったばかりに、可愛げのない院生だと認知され、少しばかし教授の癇に障り、あとは、詰問が続いてゲームオーバーだった。乙。

次、萎えて真ん中ぐらいに座るかもしれない。

ここまでは、まだ生易しいのだが、「倫理学と道徳の違い?」

倫理・・・大きな組織力、social、社会的原則。人として守りおこなうべき道。道徳。

道徳・・・individual,own、個々の。

倫理の中に道徳も存在し、似て非なるものだが、その違いを指摘しなくてはいけない。

次は、おそらくヘルスケアを問われる。その界隈に執着しつつ、見解を述べれるように準備しておかなくてはならない。ヘルスケア=広義の意味で健康維持、健康管理、健康増進。

健康について、「健康」とは何ですかとテーマが上がった時、自分はどのように健康を語れるのだろうか?出雲から京都へもどる車中で考えた。「健康」といえど、様々な見解がある、個人、家族間、環境、職場においての健康。

「健康とは何か?」難しい、なかなか答えにたどり着かない。

健康。

健康や病気といった言葉に振り回されず、それを考えない人が真の健康なのではないだろうか。健康に向かって、あれもこれも躍起になり過労状態に陥る。健康を過大評価するあまり、それが大きな大きな目標となり結果、過労や疲労を招いてしまう。健康に惑わされてしまっていないか。健康側へいざなう身として、健康を否定(決して真っ向から否定していない)することは、いささか誤解を招いてしまいそうだが、少なくとも健康体である人が、わざわざ病気を探し求めているのは宜しくない。罹患されている患者さんに健康にはならなくていいです、という意味ではない。過剰に意識してしまわないように。

これは、患者さんの発した言葉だけに注視してしまう危険性に似る。言葉の大切さを踏まえつつ、より身体に問いかけらえるか?見過ごさず突き止められるか?炙り出せるか?

まだまだ。

知識を振りかざす青二才にならぬように気をつけて、この一年を過ごしていく。

そして本日から、幸か不幸か当院隣のテナントが突貫工事を再開。

ドリル系が入る日(週)は振動、騒音が激しいので、事前に工事内容、時間・日程を教えていただき、その都度休診になってしまう。

比叡山延暦寺に呼ばれてきた。濃霧に包まれた比叡山は荘厳だった。比ではなかった。

浄化し、少し解放された誕生日になった。



つづく

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