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ロックに甘えるな

執筆者の写真: 院長院長

 本日、誕生日をむかえた。この世を渡り歩いて38年。酸い甘いをほどよく往復した感じである。

いつもと変わらぬ穏やかな日を過ごすはずが、大学に爆破予告が届き、本日正午から明後日まで校内立ち入り禁止令が敷かれた。普通にこえーよ。爆破予告。実験に入った直後に、面食らう。何事もないことを祈る。

早朝から実験施設へいき、実験動物の訓化といいつつ、馴らされているのは自分の方だと自覚する。施設から出て、研究室へもどってきてコーヒーを淹れる。緊張と緩和後の一杯に勝るものはない。いや、今日は緊張の連続である。爆破予告然り。同室の助教卓まで切れ味鋭いキリマンジャロが進出していないか、いささか不安を覚える。助教がコーヒーを飲んでいるところを一度も見たことがない。


 さて、過去を振り返るか未来について考えるかの狭間にいるけれど、今しか考えられないのも事実。

転職を決め、気付いたら京都移住、山陰では研究に従事、年1〜2の離島と、一見充実を図る行動に見えるかもしれないが、水面上・下ではバタ足の連続。まだ自分がどこへ泳ぎ着くのか不明だ。


「オマエの生き方ロックじゃねぇーよ!」と、ある人に言われてからもうだいぶ時間がたった。

再入学時と業界を去る間際に浴びせられた言葉だが、今でもよく覚えている。干渉されるほどの義理はないし、決断をした自分を誇らしく思える。ロックだと思った。

ロックの定義は曖昧で、「ロケンロー」と言うだけで成り立つ人もいれば、日の目を当たらずに厳しい環境で生きている人、地理的不利な環境でも自分の居場所を着実に見つけて精力的に活動している人など、これまで目の当たりにしてきた。ロックに生きようがポップに生きようが、ソフトに生きようがそれは自由だ。

1つ言えることは、ロックに甘えるんじゃねぇ。

 昨日の正義が今日には不義になり、今日の正義が明日また目の前に着地し、ジャスティスに包み込まれるとは限らないこんな世の中。ポイズン。渦中、自分や友人、賛同してくれる仲間をより大切にしたいと強く思うようになった。頼れる存在、愛されるひとになれるよう、この一年間、成長をしていく。これでいいのかと問い、やってきたことや学んできたことをきちんと掘り下げて相手に伝えられるよう努力する必要がある。またそれ以上に"変化に適応できる力が重要"であり、やればできるという安心感から脱し、協働を意識した行い、つまり人と関わりが持てる、つながる、そして誰かのために働く責務を全うしたい。

僕は今まで、説教されて、改心したことが、まだいちどもない.

説教している人を、偉いなぁと思ったことも、まだ一度もない.


-太宰 治-

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